武藤喜兵衛は強そうな名前?

丙申如月参日


うじざねクン 第四回は「挑戦」でした。今回の大きなテーマはまーくんが信ちゃんに認められるかどうかに尽きたね。

のぶしげクン まーくんというのがうちの父ちゃんこと、真田昌幸の事で、信ちゃんは織田信長様の事だよね。

うじざねクン そうです。信ちゃんは私の父の仇ですけどね。信ちゃんとの対面の前のもとちゃんとの対面のシーンが面白かったね。

のぶしげクン 元ちゃんというのが徳川家康の事だね。こちらは私のというか、真田家の宿敵だ!

うじざねクン まあ、そうだけど、今川家にとっても、育ててあげた恩を忘れて、奥さんを世話してあげた恩も忘れて、裏切って敵方に付いたもとちゃんだね。ただ家ちゃんというと、なんとなくおかしいので家康と呼ぶことにしよう。。名前と言えば、武藤喜兵衛の話が出ていたね。

のぶしげクン うちのじいちゃんは真田幸綱という名前で、その三男坊がうちの父ちゃんなんだよね。
じいちゃんは、号を一徳斎幸隆(いっとくさいこうりゅう)と言ったのだけど、なぜかこちらの名前が有名になって幸隆と思われるようになったそうなんだ。その三男坊なので養子に出されたんだ。その時の名前が武藤喜兵衛というわけで。

うじざねクン 三方ヶ原の戦いが元亀三年(1572年)なので、ちょうどその頃武藤と名乗っていたということだね。この戦いでは徳川軍を撃破しているので、その敗走が家康のトラウマになっているみたい。


のぶしげクン 噂によると、とっても尾籠な話が伝わってきてるようだけど、それぐらい怖かったと。
それはいいとして、正信さんが一緒にいましたって感じで話していたけど、出奔していたんじゃないんだっけ?

家康としてはとりあえずリベンジ


うじざねクン 正信くんは1563年ごろ出奔したらしいけど、帰参時期ははっきりしていないそうなんだ。1570年から1582年の間らしいので、三方ヶ原の戦いのときには家康のそばにいた可能性はあるわけだね。



のぶしげクン なるほどね。1572年というとオイラは6歳だからね。戦の記憶はないよね。でも、オイラも武藤姓だったのは確かだよね。

うじざねクン 確かにそのとおり。ただ、長篠でまーくんの兄上が二人とも戦死したから三男坊なのに真田の当主になっちゃったんだよね。

のぶしげクン そうみたい。長篠は1575年で織田徳川連合軍だからね。ただ、一説によるとあれは明智の戦だとか。

うじざねクン 鉄砲に関しては、光秀クンはうるさかったらしいからね。その、明智が信ちゃんを討ったというのもうちとしてはなんか複雑。でも、親の仇を討ってくれたのには変わりはないので、一応感謝申し上げたい。
それはともかく、長篠は武田さんが負けちゃって、家康にとってはリベンジの形になったようだね。

のぶしげクン でも、そこが殿のえらいところで、それ以降頑張ってるんだよね。

うじざねクン 殿というのは勝頼クンの事だよね。長篠のあと武田はしぼむのかと思いきや、版図をかえって広げているものね。ただ、如何せん周りは北条上杉徳川織田と休む間もなく戦をしていて、ある時から次第にジリ貧状態になったみたいで。

のぶしげクン ところで、今回の家康って特にタヌキだったよね。

うじざねクン そうすると、君と父ちゃんはさしずめキツネかね。

のぶしげクン キツネとタヌキの騙し合いね。

わざとキャラを立たせない信長像が三谷さんの挑戦


うじざねクン キャスター付きの弓立てって、のぶしげクンの発明?えらく感心されていたけど。

のぶしげクン 一応そういうことにしていてね。あれって便利そうでしょ。家康も感心していたし。

うじざねクン 家康はいい味出していたよね。忠勝君もだけど。
ところで、信ちゃんは単にもったいぶってて怒りっぽいだけの人に見えたけど。

のぶしげクン こんなに早く信長公がいなくなるのも珍しいよね。正式な登場は今回で、もう本能寺だもんね。

うじざねクン 役者さんも目立つ人じゃないし、信ちゃんとしては地味にスグに終わっちゃったね。

のぶしげクン いつもはキャラが立つ信長公なのにね。

うじざねクン だからさ、ここで信ちゃんのキャラが立っちゃうとのぶしげクンが目立たなくなるよね。そういう意味ではさらっと流したのかもね。
のぶしげクン 確かに信長公のキャラは強烈だもんね。その意味では目立たない俳優さんでよかったのかな。



うじざねクン 良かったと思うよ。明智君も含めて二人とも目立たないような俳優さんを使って印象を薄くする作品かな。これこそが三谷さんの「挑戦」かもしれないよね。



まーくん:真田昌幸 1547−1611
明智君、光秀クン:明智光秀 1528−1582